幕府が無かったという訳ではない。 幕府は確かにあった。
少し話は飛ぶがテレビの時代劇(戦国もの)などで戦に赴いた武将が前線の自陣で軍議をしているシーンを一度は見たことがあるだろう。 より具体的に描写するなら大将とおぼしき人物が床几に腰掛け配下の武将が地図を指し、「こちらから攻めるが良かろう」などと意見を交換している。 篝火が焚かれ、周囲は家紋の入った幔幕で囲まれている。
そうなのだ幕府とは征夷大将軍の遠征時の前線司令部の事なのだ。 その前線司令部の幕府が平時には将軍の所在地としての意味合いを持つようになったという訳である。
乱暴な言い方をすれば鎌倉、室町、江戸、いずれも征夷大将軍が居た所が幕府ということだ。
ここで、「おやっ?」と思わなければ、知ったつもりで通り過ぎてしまうので注意していただきたい。
幕府とは最上位の統治機関であったはずだ。 ここまでの説明では幕府とは単に将軍の居る所だというだけで政庁としての幕府はどこへ行ったんだと思った人はここまでの私の「知ったつもり」の真意を理解してくれたものとして感謝したい。
度々、テレビの話で恐縮だが江戸ものの時代劇で時の政権をこのように呼んでいるのを観たことがないだろうか。
そう、「公儀」、「御公儀」だ。 同じく将軍を指す「公方様」というのを聞いたことがあるはずだ。 有名なところでは「犬公方」こと五代将軍、綱吉を思い出されたことと思う。 一般的にはそのように呼ばれていたという事である。
つまり言葉の上での幕府は存在したのだが概念的なものであり、幕府という呼称が使われ、幕府=国政機関と広く認知され出したのは実は幕末になってからなのだ。
幕府という呼称はいわば後付けといってしまうと身も蓋もないが、現代の私達には幕府という呼称が使えないと不自由なので便宜上、幕府で書き進めていきたい。
(続)
大洲城 (画像と本文は関係ありません) |
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