現在ではパン食等が増え、食を取り巻く環境が当時とは違うので簡単に言い切ることは出来ないが、当時の「一石」とは一人の人間が一年に消費する米の量ということである。
加賀百万石ならば百万人が一年間食べる量の米を収穫できる領地を有していることになる。 逆に言うと石高以上の人口は存在し得ないという事でもあるのだ。
更にに言うと、「一石」の米が収穫出来る水田の面積が「一反」であった。 農耕技術が進んだ現在では「一反」の水田からどの位の米が収穫できるのだろうか? ご存知の方は教えていただきたい。
石高については、ここまでにして大名について考えてみよう。
先に加賀百万石を例えに出した。言うまでもなく、日本一の大大名「前田家」の事だが、江戸期における大名の定義を覚えているだろうか?
おそらく学校で習ったはずである。 おそらくというのは、私自身は覚えていないからなのだが…。
江戸期における大名とは石高が「一万石以上の領主であり藩主である」事である。 くどい様だが疑問を持って欲しい。 藩主を強調したのは意味があるのだ。
というのは「一万石以上の領主であるが藩主でない」人達が存在するからである。 この人達はけっして大名と呼ばれる事はない。
では、再び加賀の前田家を例に述べていきたい。 (続)
高松城の天守台から見た堀 (画像と本文は関係ありません) |
はい、個人的見解でお答えいたします。現在も一反で一石は変わりありません。機械化が進んで人手が要らなくなっただけでかえって、米一粒を粗末にする飽食の時代で、一人年間一石の米も食べず今は300万人は食えると思う。。です。。はい。。
返信削除ありがとうございます。 今でも一反で一石なんですね。 勉強になりました。 やっぱり、現代人は一日に一合程しかたべませんかね。 残念なことです。
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