2014年8月1日金曜日

「直参」と「陪臣」

 では、なぜ彼らは大名にはなれないのだろうか。 ここまで読んだ人の中には、気づかれた人もいるだろう。

 幕府(将軍)と藩(大名)、旗本(将軍家臣団)の関係について整理してみよう。

 大名は将軍に臣従する見返りに領地を拝領し安堵されている。(心底、従っているかは別としてだが) ここで直接の主従関係が発生している。

 また、旗本といわれる一万石未満の徳川家将軍直属の家臣団がいいた。 時代劇でお馴染みの大岡越前、遠山の金さん、長谷川平蔵も旗本である。 こちらは紛れもなく将軍家と直接の主従関係をむすんでいる。

 大名も旗本も、石高・身分に違いはあっても、将軍家と直接、主従関係を結んでいる事に違いはない。 将軍家の直接の家来であることから彼らは「直参」呼ばれる。

 そして、直参の家来、つまり将軍家から見て家来の家来にあたる各大名家の家臣団は「陪臣」「またもの」「また家来」などと呼ばれたのである。

 この「直参」と「旗本」には厳然とした区別があった。 直参には千石に満たないような下級旗本でも将軍との拝謁が許されていたが、陪臣はたとえ万石以上の家老や藩主一族でも許されなかったのだ。 また他家の主君とも直接面会する事も出来なかったのである。

 理解して頂けただろうか。 簡単にいうと、直参はたとえ旗本でも加増されれば大名になれる(大岡越前は1700石の旗本の家に産まれたが後に一万石の大名となった)が陪臣はたとえ高禄でも大名にはなれないという不文律があるということなのだが、なぜ陪臣は大名になれないかの答えになっていない気がするので私なりの解釈をしてみたいと思う。 (続)

福山城の石垣 (画像と本文は関係ありません)


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