彼らは稲作を続ける上で、定住の必要性に迫られる。 住居を建て、収穫物を保管する倉を建てていった。
これも想像であるが、定住を始めたことにより食料、雑貨、服飾等の富を集め蓄える喜びを、初めて知ったのではないかと思うのだ。 現代には、色々なコレクターがいるが、そのルーツを遡ると弥生時代がその嚆矢ではないかと想像を広げたくなるのである。
だが、決して良い事ばかりではない。 富が集積されているのだから、富の収奪を企てる輩が当然でてくる。
対抗する為に集団になり集落を形成し、周囲には濠を巡らせた「環濠集落」が登場するのである。
集落という観点では、青森の「三内丸山遺跡」等もあるので、必ずしも稲作により定住が始まった訳ではないが、濠を穿ち、逆茂木を配置した防御施設としての色合いの強い「環濠集落」はやはり米という価値の高い食糧の存在と切り離す事は出来ないと思うのである。
彼らは更に土を掘り進め、水を引き、近畿圏に進出し強大な王権を確立するに至る。 この王室の長が稲作と共に来たのか、古くからこの地に蟠踞していた有力者かは判らないが、王室は更に土を掘り進めることを基本方針とする。
東へ北へと農耕の民は進出し、やがて現在の福島県白河市あたりまでたどり着く。 ここで、神の恵みである稲の神威に翳りが見え始めたのだ。 (続)
宇佐神宮 (画像と本文は関係ありません) |
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