2014年8月6日水曜日

藩の実在

 一口に藩といっても、それが指す意味合いは時として微妙に異なる。 一つは大名家そのものを指す場合。 また大名家が領有している領土を指す場合。 そして領内の行政機構を指す場合である。

 解釈としては、幕府同様に考えてもらっても良いのではないかと思っている。 つまり、大名(藩主)がいるところが藩という事である。

 今まで、繰り返し、「わかった気にならず疑問をもって欲しい。」旨の事を書き綴ってきながら、やけに簡単な解釈だなと疑問を感じた方もいるだろう。

 その疑問は鋭く、正しいのである。

 江戸期において幕府のことを一般的になんと呼んでいただろう。 そして、幕府と呼ばれ出したのは幕末になってからだという事を思い出してもらいたい。

 そうである。 実は幕府同様、藩というものは江戸期において公式には存在しないのだ。 今日、私達がなんの疑問も感じることなく使用する「藩」「藩主」「藩士」「藩領」これらは全て明治になってからのものである。

 では、藩は全く無かったのかというと江戸期には公式に存在しなかったが明治には公式に存在したのだ。 厳密には1868年(9月7日まで慶応4年 9月8日から明治元年)の4月に幕府領を府・県に、大名領を藩にしたのである。

 1871年(明治4年)7月に廃藩置県が行われるまでの3年数ヶ月にわたり公式に藩は存在していたということなのだ。    (続)

錦帯橋と岩国城 (画像と本文は関係ありません)

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