以下は私の空想である。
私達が縄文時代と呼ぶ頃、祖先達は日本の至る所で採取生活を営んでいただろう。
山林に分け入り鳥獣を射止める者、木の実や果実を採取する者、或いは河川や海に漕ぎ出し魚介を捕る者。
彼らは最小限の生活品を携え、幾つかの猟場、採取場を年単位で定期、或いは不定期に移動していた。
ある日、祖先達は変わった集団を目にする。 「海の向こうから来た奴らだ」と即座に理解できる程に往来があったかもしれない。
身に纏う衣類が違うくらいでは「変わった奴ら」と感じなかったとも思える。
「奴らは何をしてるんだ?」 その集団はしきりに地面を掘り起こしている。 薄気味悪くて、その場を立ち去ったかもしれない。 又は好奇心から身振り手振りで「何をしているのか」と訊ねたとも想像できる。
暫くすると不思議な連中は溝を掘り、川に近づき、あろう事か草木の無くなった区画に水を流し込み始めたではないか。 祖先達には何が何だか分からなかっただろう。
泥の池と化した区画に連中は何かを撒きはじめた。 遠目に或いは間近で不思議な行為を観察する祖先達。
時が過ぎ、緑が芽吹き、瞬く間に成長し、やがて緑から黄金色に染まった区画を見た時に祖先達は、それが何であるかは分からないが神秘的な神々しさを感じた事であろう。
今更、いうまでもないが稲作である。
それらを何年か繰り返し、やがて祖先達の中にも黄金色の収穫を初めて味わう者が出始める。
祖先達は頬張った瞬間に、この穀物の虜になっただろう。 この世のものとは思えぬほど美味しかったに違いない。 ご飯だけでも美味しいが、おかずがあれば尚更のことである。 副食を選ばぬ万能の主食、米の登場である。
この衝撃は並大抵のものではない。 以降の日本人の精神、思考にただならぬ影響を与え続け現在にまで続いているのだから。
日本人にとって、これほど完璧な食料はない。 祖先達は、まさに神が与え賜うた食物と思ったことだろう。 事実、太陽神 天照大御神と結びつき、現代にまで様々な神事が至る所で連綿と引き継がれているのである。 (続)
高千穂峡 (画像と本文は関係ありません) |
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