つまり、将軍家から拝領した封土こそが公式なものである。 一方、大名からその家臣達に与えられる知行地は各大名家の判断で与えられるものであり、幕府側の視点でいうと大名家の「お家の都合」、いわば私的なものであり「公儀のあずかり知らぬところである」という見解だったのではないかと思っている。
あくまでも領地は大名に与えたのだから、どれだけ陪臣が高禄を有していようと公的なものではない。 よって、いかに高禄の陪臣であろうと公式な立場の大名になれないというのが私の解釈である。
個人的な解釈なので例外もあるし、事実誤認があるかもしれないが学問的な立場で書いているのではないので、ある程度はご容赦願いたい。
ここまで、駆け足で幕府や石高について述べてきた。 藩(大名家)を考えるときに、どうしても外せない事柄を述べてきたのだが、そろそろ本題の藩の話に入っていきたい。 (続)
広島城 (画像と本文は関係ありません) |
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